2010年6月15日火曜日

ノルウェイの森

約6カ月ぶりにノルウェイの森を読み返した。
この本は一種の不思議な魔力と吸引力がある。
私が一種の不安定な、何かを求めている時期が続くとき、ふと「ノルウェイの森」
を手に取っている自分がいる。”私”が読みたいと思うより先に、私の中の
何かがこの本を求めていて気付けばこの本をまた手にしている、という具合に。
きっとこの本は共鳴のような空間に私を居させてくれるのだろう。


数か月に一回の程度で読み返すたびにこの本自体が明らかになっていくような
不思議な感覚を味わう。

この本が出版された当時はベストセラーになり、文学批評家たちはそろって村上
春樹を叩いた。(ごく少数支持者を除いて)その批評の内容も「自殺する人が多すぎる」
といったことや「性描写が多すぎる」こと、「僕」の奥行きのなさ、終わり方の曖昧さ
に対する作家の無責任性など。一部のフェミニストを自称する作家や学者は直子や緑
といった女性の描写の仕方を叩いた。以前に読んだ批評文では村上春樹自身がカバーの色を
赤と緑(そして帯は反対に緑と赤)にしてほしいと注文したことを「クリスマスを意識
して売り上げを伸ばそうとしている」という何とも馬鹿馬鹿しい事が書かれていた。




これらの批評はどれも「ノルウェイの森」そのものから大きくずれてしまっているし
彼ら自身がこの本を自分自身の重さを持って受け止められなかった限界を表して
しまっているように思う。「ノルウェイの森」に登場する緑や玲子さんといった女性
自身とかつ「僕」との関係性は一部のフェミニストが主張するよりもはるかにラディカルだ。
赤や緑といった色は「死と生」を表している色とも捉える事が出来るし、赤の表紙に緑の
帯、そして下巻では緑の表紙に赤の帯という何とも大胆な配色は小説の中で語られる
「死は生の一部である」ということをカバーそのものをもって暗示しているのではないか。


批評そのものも見当はずれなちぐはぐなものが多かった気がするけれど、「100パーセントの
純愛小説」というフレーズに見られるように、「恋愛小説」として捉えられてこの本がブーム
になってしまったことが「ノルウェイの森」のぎゅっと濃縮された魅力を散在させる結果になって
しまったんだろうと思う。この本はきっとブームなどになるべきではなく、本屋の隅で存在して
いるような、人が何かを求めているふとした時に偶然手にとって一気に引き込まれていくような、
そんなひっそりとだけど長く長く朽ちない本であったべきなんだろう。


本当に死の淵までいったような人や”私自身”というものや”生きている”ということ自体に
ぐらぐら揺れたこともない人たちにはきっとこの本は響かない。(私もそんなところまでいった
ことはないけれども!)とにかく生き続けなければという思いや、それと同時に自分の肌の外に
存在する者たちとどう関係して生きていくかということに苛まされることもない人達にとっては
この小説は「恋愛小説」だ。それはそれでいいんだろう。だけどそれはきっと、この本がひっそり
と含んでいるだけど本当に発したいメッセージとは違うと思ってしまう。



この小説を読むたびに私は自分自身をあるていど主人公に重ねてしまう。きっと色んな中途半端
さや何かを求めている所、だけど未だ地に足がついていないところ等だろう。

「僕」は不思議と生死の間でさ迷っているような、だけど確実に死の方向へ向かっている人たちを
ひきつける。これはきっと、やさしく死を肯定するような、そしてそれ以上に何かを常に切に
求めているが故にその渇き・求めが小さな渦巻きのようになり、死の近くにいる人たち・どうしても
そちらに行かざるを得ない人たちを引きつけ、彼らを肯定し、一定期間癒す力を持っている。

それでもどうしようもないことに、きずき・直子・はつみさんといった死の方向へ向かっている人達
を違う方向へ向かせてつれていくことはほぼ不可能なのだろう。少なくとも、20歳の「大人」に
なりきれていない「僕」には不可能だったのだ。彼の出来ることはただ一時的に彼らの避難所に
なることだった。そしてその結果、彼らが少しだけ以前よりも穏やかな気持ちで死へ向かっただろう
とともに、「僕」自身も生き続けるために新しい、そして全身にのしかかる課題:責任を受け止める
ことになる。

最後のシーンで「僕」は今どこにいるのだ、と自分の立ち位置も未だ分かっていなければ
どのように生きていけばいいのかも分かっていない。彼がしっかりと地に足をつけ歩きだすには
まだまだ時間がかかるだろうし、同時にその状態を抜け出す「きっかけ」や「出来事」を通る
必要がありそうだ。



だけど、何よりも大きなことは、泣きたくなるほど大きなことは、彼が「生き続ける」という
選択をしたことだ。死の方向へ方向を決めるのではなく、とにかく「生きる」という方向へ
目をやったことだ。そして生きていくうえでの代償として「責任」を取ると自覚したことだ。
彼の人生はこれからまた新しく始まるんだろう。もちろん数多い苦しみが待ち受けている
のだろうけれども。


そして途中で死んでいった者たち。直子やきずき、はつみさん。彼らを責めることはできないし
その必要も全くない。彼らは苦しみの中でも死の瞬間まで生きたのだし、それが彼らの人生
だったのだ。その一方、生を選んだもの、あるいは生を選ぶように色んな助けが自然と現れ
それらに答えた者は生き続けるべきなのだ。死者という声なき者の存在を背負って生き続け
ることを迫られている。

「ノルウェイの森」の最後に語られること

”我々は生きていたし、生き続けることだけを考えなければならなかったのだ”


この小説はきっと10代後半や20代の途中で死んでいった者たちへのレクイエムであると
同時に、だけどそれ以上に生き続ける者・生き続けることを選んだ者に対して背中を押す
小説だ。心の奥にひっそりと存在するような、心地の良い距離で存在する小説だ。


私はきっとある程度年を取るまで、この小説を時々読み返すだろう。大した困難を経験
したわけではないけれど、「生き続ける」ことを選んだ者として。

2010年5月25日火曜日

trotzdem ja zum Leben sagen

今日は大英博物館の企画展Kingdom of Ifeへ。
現在のナイジェリアに位置する、11世紀から14世紀にかけて存在した王国Ifeにおける芸術。
その後は公園で読書。


比較的遅く帰宅してシャワーを浴びているときにふと閃いた。
私がこの人生で目指すのは「私が私自身から解放されること」この一点。
サンスクリット語やヘブライ語を通して古今東西の思想に迫りたいのも、
医学を実際に学んでみたいのも、きっと私が私という人間からいかに
自由になれるか、その術を求めているのだろう。


今の私にはまだ捨てられないものも守るべきものも何もない。私は私の真理を目指す。


マルティン・ブーバーの言葉より
「人生にひそむ最高の価値をつかむためには危険に満ちた冒険に旅立たねばならない」


一見波乱万丈に思えても、再び灰色で覆われた日々を過ごすことになっても、
限界まで行きたい。倒れるならそれでもいい。私へ還ることができるならば。

2010年5月21日金曜日

あい

私の大好きなあるブログで出会った谷川俊太郎さんの詩「あい」
この詩はなんだか本当にすっと私の中に入ってくる。
過去から未来への流れ、そしていのちをかけて生きること





「あい」        谷川俊太郎

あい 口で言うのは簡単だ
愛 文字で書くのも難しくない

あい 気持ちは誰でも知っている
愛 悲しいくらい好きになること

あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと

あい それは愛という言葉ではない
愛 それは気持ちだけでもない

あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること





この世界は美しい。
花が咲き、ミツバチが蜜を吸いにやってきて、そしてめぐりめぐる。
花があって私がある。受け継いだものを更なるものへ引き渡す。より美しい形にして。
憎しみや恐怖や嫉妬などがうずまくなかで、それ以上にもっと根本的な共感や
いのちそのものが存在する。そしてそんな暖かい温度のあるもので世界はまわりつづける。




私は美しいものを多く見させてもらった。感じさせてもらった。もったいないほどに。
不当なほどに。私はこの世界が好きだ。数え切れない哀しみが存在するこの世界で
それでもやっぱりこの世界は美しい。森羅万象の中で、全てのものがいのちをもって
存在する。風の匂い・木々の匂い・犬の喜び哀しみ・ハトの一日・蝉の7日間・水・人間・
色んな顔を持つ海、遍在するいのち。そして風の匂いも季節によって変わり、
木々の葉も季節によって輪廻を繰り返す。全てが網目のように絡まりながら相互に存在している世界。





私は私のために多くのものを見せてもらった。「私自身」は満足だ。
でも、最も愛されるべき人に愛されない人や今日の食べ物もない人や色んな奴隷として
生きている女の子や男の子、ストリートチルドレンや多くの未来を持てないであろう人たち、
人間の餌食になっている犬や猫、理由もなく殺される動物、オイルまみれの鳥たち、
氷が融け海に流されるクマ、象牙や皮のためにころされるゾウやキツネやウサギ、
抵抗のしようのないいのち達。




私は彼らの前にしゃんと立つことができない。謝ることしかできない。
うろたえ罪悪感に苦しむことしかできない。
私は私が得たものをどんな風に次へ繋げられるのか、どうして苦しみや哀しみを
癒すことができるのか、まだ明確にはわからない。(いや、きっと分かっているのかもしれない。
それに伴う困難や覚悟の前で躊躇していると言った方が正しいのかもしれない)
それでも、「愛したい」と思う。私が存在するこの世界を。私が不当にも被らなかった
苦しみや哀しみを。被らなかった分、きっと私は償いたいんだろう。






何か大きな買い物をするたびに、女の子らしい喜びとともに付きまとっていた後ろめたさ
や大きな出費をするたびに付きまとっていた何か違うという感覚。私はずっと知っていたはずだ。
どんなきれいなかばんも靴も服も化粧品も身を飾るものはとってもとっても儚いと。
きれいなすっきりとした格好をして街を歩き、素敵なカフェでお茶をし、数万の買い物を
すること。私がそれをある意味好きなことは私自身否定できない。今の時点では。





それでも、私は思う。色んな哀しみを愛することができる具体的な「手段」を手に入れたとき、
具体的に働きかけることができるとき、私は色んな「物質」を今よりももっと惜しげなく手放すだろう。
素敵な家も高価な服も名誉もきっといらない。次の世界へもって行けないものは全て放り出したい。
そしてその先に待ってるであろう、私による私の解放。透明になること。通過させる存在になること。






多くの「あい」から生まれた私として更に多くの「あい」を生み出したい。
くりかえしくりかえし考えたい。私は何ができるのかと。
私のこの一生はどんな風に用いられるべきかと。誰に捧げたいのかはもう分かっている。
運命から逃げたくない。過去に得たものを未来へ。



私は未来を信じたい。そして本当の未来とはきっと「あい」によってもたらされるべきものなんだ。

2010年5月18日火曜日

カンガと地図と権力と空間

一昨日は大英博物館のアフリカのセクションへ。
そして昨日は大英図書館の企画展 magnificient mapsへ。

この二つを通して知ったことを簡単にまとめておきたい。
大英博物館では結婚のときに用いる衣装の意味やその色に込められている意味
などもすごく面白かったんだけど、ここではカンガについて。


約年前にケニアに行った時は単に可愛い・便利という理由でカンガが気に入った。
部屋をシェアしたケニア人の女の子が部屋着としてカンガを身にまとっている様子が
思い浮かんでくる。すっごく可愛かった!
でもなぜか、そのカンガにはどういう意味があるのかを考えたことがなかった。
何で私はそんな当たり前な問いを立てずに単にカンガを「東アフリカの文化」として
受け入れたんだろう。大英博物館でのカンガの展示やその歴史は私が勝手に作り上げていた
カンガの「イメージ」をもう一度考え直す機会をくれた。


まず第一に、カンガはそのコミュニティにおいて社会的な意味合いがあること。特に
女性にとって。だからこそどのカンガにも意味合いが本来含まれていて、それは
社会的なことから政治的な主張からあるいは人生哲学のようなものなど様々。

例をあげると「マンゴーの実がなったよ」という知らせをマンゴーの樹が描かれている
カンガを通して伝えたり、「お前は何も知らない」という格言(あるいは誰かにあてた
悪口や陰口?)であったり、面白かったのは猫と家の絵を通して「あなたがドアを開けっ放し
にしたから猫がドーナツを食べていってしまった」というメッセージなど。




普段直接的には不満や主張が言えない社会構造であっても、きっと女たちはこうして
日常生活を通して、自分の身につけるものを通して、良い具合にメッセージを伝えあっていた
んだろう。最も確実な内在化!



服の持つ意味とその歴史の変遷も本当に面白い。もっと詳しく知りたい。
機能だけではなく、社会的な意味合い。
そういえば服に関して、ロシアの博物館で見たエカチェリーナ2世の灰色のドレスは100の国章の刺繍
がされてあって、何とも言えない圧迫感と威厳と迫力を醸し出していた。「服」の奥深さ。




そして、そんなカンガは当然東アフリカが生み出したものだとばかり持っていたけれど、
本当は15世紀にポルトガルが四角のハンカチを貿易を通して持ち込んだことがことの発端とのこと。
そして現在では現地でカンガが生産されているけれど、当時はポルトガルやイギリス、あるいは
日本でプリントされていたとのこと。「現地」本来のものと思っていたものでも、
本当はこうして植民地支配や貿易の影響を受けているのだろう。それだけ植民地支配は根深い。
宗主国により作り出された型の中でのみ、そして彼らによってもってこられたものによってのも
自分自身を表現できるということ。あるいは宗主国ー植民地の対立構造でないように見えるものでも
やはり関係してしまっていること。その中でその状況に甘んじるのではなく、現実を知った上で
その現実を逆手に取り、そのぎりぎりの境界まで戦うこと。そして結果的に境界を彼方へ広げること。





そして貿易や宗主国などについて考えているときにふと行ってみた大英図書館。確か今地図に
ついての展覧があったな、BBCでもやってたな、という軽い気持ちで。
地図はまぎれもなく権力や国家と結びついている。時にはそれは見る者に驚嘆や服従を要求し、
時には支配欲を満たす機能を果たす。外と内の境界を明確に引き、どちらに属すかによって
見方が全くことなるもの。それも地図の一面だろう。
今回の展示はヨーロッパの世界への視点。つまりヨーロッパの植民地への視点。
地図を所有する者としての西ヨーロッパと、その所有物としての非ー西ヨーロッパ。
「私」ももちろん後者に属する。


最初から最後の部屋へ至るまで続いた何となくの居心地の悪さ。そして一枚の地図と対峙するごとに
増す疲労感。それはきっと私が「みられる側」に属することを感じてしまうからだ。
far eastからやってきた者として。そして決して地図に「沿う」者、地図によってアイデンティティを
確認できる者ではなく、最後まで地図に「対決」する側の人間だからなんだろう。
地図を見ながらエドワード・サイードの「オリエンタリズム」を思い出していたのは言うまでもない。




そして些細なことだけど、同じ場所で同じものを見ていても見る視線の先が違ったら
同じ空間は共有できないんだとふと思った出来事があった。
目の前に広がるヨーロッパを中心にした世界地図。(つまり、植民地先を大きく誇張しているもの)
いかにもヨーロッパ至上主義でありながら、同時に装飾がなされていて西洋的美を感じられる
ものだった。その前に立つ私にとって最初に目につくものはいかに宗主国ー植民地の関係性
が描かれているのか、そして日本はどのように位置しているのか、ということだった。その関連
としての装飾美。対して横にいた恐らく白人イギリス人であろう人はいかに地図がアートとして
描かれているかに感嘆の声をあげていた。

同じ場所で同じものを見ているはずなのに、その地図をまず受け入れるか受け入れないかの根本的な
立ち位置の違いから存在を置く空間が異なっていた瞬間。違う方向からやって来て、一つの地図の前で
一瞬の空間を共有し、そしてまた違う方向へ向かうこと。そして同じ瞬間を共有しているということも
単なる幻想であること。同じ場所に立ちながら同じものへ視線を向けながら同じ空間の中に存在しないこと。

こんなことを数え切れないほど繰り返してきたんだろうなあと思いながら、それでも不思議と
寂しい気持ちはしなかったロンドンの午後。

しん、とする夜に

ふと智恵子抄を思い出した夜。その中の「深夜の雪」の一文。
「ただ二人手をとつて 声の無い此の世の中の深い心に耳を傾け 流れわたる時間の流れをみつめ」
という文章。何だかすごくシンとして情景が目の前に広がる。


そしてこの文を読んで同時に思い浮かべたのがなぜか中原中也のある詩の最後の文。
「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。」


二つの詩に共通点はないだろう。前者は恋人と二人できっと一つの静かな「真実」を感じている時。
後者は自身が目指す何かへ向かってがむしゃらに働きかけ、ふと帰路において「自分」を感じているとき。
これも違った形の「真実」だ。




でも両者にはどちらも何かしんとした、少しの間持続する、ある流れが薫る。
私はそんな「一瞬」がたまらなく好きだ。なぜか泣きたくなるほど。
きっとそれは、私が求めているものがこの二つの文に現わされてるからだろう。



私にはまだ彼方がうっすらとしか見えない。霞がかっているような。
「そこ」へ辿り着く、あるいは還っていくにはまだまだの年月と苦労と空回りが必要とされているはず。
「人並みの幸福」はなくてもともと。もし与れば僥倖以外の何物でもない。
「私」へ還る路に沿うものとしてそんなものを期待する私も存在するけれど。
時々、周りに何も存在していないような気がしても、自分が全く分からなくなっても、
何のやる気が起こらなくなっても、更に深く深く下りていくしかない。
上へも登りたい気持ちもある。でもやっぱりそれよりも下へ。

2010年5月17日月曜日

原罪らしきものー付け足しー 

シュヴァイツァーの「原始林に医者となる決心」を読み返すなかでどうしても
自分自身のために心に留めておきたい文章がいくつかあったので。
自省の意味を込めて。傲慢の塊のような私も「謙虚」であり続けることを心がけるように。


「環境によって不可能であるがゆえに、有為な愛すべき人々が世に尊かるべき個人的な仕事を
すてなくてはならぬのを、私はともに見、ともに体験せざるを得なかった。自由な個人的な事業を
実現し得る人間は、この幸福を享受するにあたってはよろしく、この幸によって心ますます
謙虚とならなくてはならぬ。同じ仕事をなさんと欲しまたその能もありながら、しかも行うを
許されざる者のことを考えねばならぬ。」

「およそかかる人々は、その強き意欲が謙虚のうちに鍛えられんくてはならぬ。しかも己が選びたる
仕事に通ずる路を得るまでには、空しく求め空しく待つ時期を経なければならぬのは、決められた
運命というべきである。」


「この幸を得し者は謙虚であらねばならぬ。かれらに加わる圧迫のために興奮することなく、むしろ、
かく起こるべかりしものの一つとして受け止らねばならぬ。善をお子わんと決意するものは、他人が彼の
ために路より石塊を除くことを予期すべからず、かえって路の上に積まれることを、宿命として
開くごせねばならぬ。」


私の考えを押し付けることなく、ただ実際に出来ることを黙々と行うこと。
あり得ないほど傲慢な私には、そして22年間それを強化させてきてしまった私には
本当に難しい。更に、キリスト教との様に私と対面する絶対的な神がいるわけでもない。
だけども、半年前に夢の中で聞いた(と思った)声「謙虚に生きれば路は開ける」というもの
の通り、今はとにかく謙虚に驕ることを戒めながら、先へ進んでいくしかないんだろう。

原罪らしきもの

今日のロンドンは晴れたり雨だったり。そんな中あったかい部屋の中で本を読んでいる私。
しとしとと雨が降るなかミルクティーを傍らに読書ってすごく落ち着くシチュエーション。
部屋から出ないことを正当化できるような。




でもこんな風に雨を楽しむことができる人間ってどのくらいいるんだろう。
私が19世紀のユダヤ人の同化なんてことを考えている時、雨でも外に立ちbig issueを
売っている人がいる。その横にいる犬は濡れ続けたままだろう。
先日大英図書館通りを通り過ぎた時、私と同じくらいの年でお腹が大きくなった女の子が
big issueを売っていた。恐らく20代前半で妊婦さんで野宿者で。雑誌を売るために
立ち続けることはその子もしんどいだろうしお腹の赤ちゃんにも負担がかかるだろう。


あるいは彼女でなくても、今日道ですれ違った人あるいは少し話した知人、またあるいは
きっと一生会うこともない多くの人々。どの人にもその人だけのストーリーがあり
人には計り知れない苦しみや痛みや悲しみを抱いて生きている。そんな人間が68億人も
ひしめき合った世界の中の一人だと思うと、あまりの途方のなさにどうしていいのか
分からなくなる。




私は街でよく見かける野宿者の人たちを直視することができない。お金を渡し続けることも
できないと同時に無視し続けることもできない。中途半端な人間だ。この「私」と「彼ら」
の違いを納得のいくよう説明することもできない。
よく何かの病であることが判明した時に「なぜ私が」というシーンは小説でもドラマでも
良くあるけど、「なぜ私でなくてあなたが」はもっとつらい。私に限って言えば、「なぜ私が」
ということはいくらでも述べられる気がする。あまりにも欺瞞に満ちた、罪深い人間として。
もちろんそれと感情として全身で納得するのは違うけれども。
だけどもその反対に「なぜあなたが」ということは納得のしようがない。



ある人は日本の中流として生まれた自分は勝ち組だと言ったし、ある宗教家は今自身がおかれている
環境と状況は前世からのカルマによると言う。私はどちらも全面的に否定はしたくない。私は
そういった「彼ら」ではないし「彼ら」のその発言に至るまでを「私」のこととして負えないから。




だけど、どんな説があろうとも、この今の世界で、自分の眼を通してあるいはメディアを通して
知るあまりに途方もない哀しみとどう付き合えばいいのか、私にはまだ分からない。


きっと、10代前半のころから、色んな哀しみに対して私はどうすればいいのかということは
大きなテーマだった。一番といっても過言ではないだろう。中学2年生のお正月に
新聞の広告でアフリカのどこかの国の子どもが飢えている写真を見てから。あの時の衝撃は今でも
ある程度思い出せる。その前から芽はあったんだろうけど。きっとそれは子どものときから時々
全身に襲ってきた寂寥の波と関係している。何か間違ったあまりにも恵まれた場所に生まれて
どうすればいいのか全く分からなかったような。この全身を覆う寂しさが襲ってこなくなった
代わりに、言語化できる「原罪」のような思いは年々大きくなるばかりだ。
特にロンドンに来てから、更にこの思いがよく頭によぎるようになった。



勉強することは文句なしに楽しい。色んな事を知りたい。そして繋げたい。人間とは何なのか、
生きるとは何なのか、死とは何なのか、学問を通して自分なりの答えを出したい。だけど、
本を読んでいるとき、エッセーを書いているとき、ふと、こんなことをしていていいのか
という思いがよぎる。研究だけの一生を送れば私はきっと満足しないだろうと静かに思っている
自分がいる。私だけ不当にも色んなことを楽しんでいる気がしてくる。私が読書を、音楽をあるいは
旅行を楽しんでいる間、数え切れないほどの人は苦しみの中にいるんだろう。経済的にであれ
精神的にであれ。



2年から1年ほど前に強く感じたこと。人間は生き続けるだけでいいんだということ。
どんな形の死であれ、死が訪れる瞬間まで生き続けるということ。今日一日を生きるということが
想像を絶するほど苦しい人も多くいる。一時間一時間が果てしなく長い人や、先が灰色でしかなく
何の光も見えない人。そんな人たちが、だけど生き続けること。生きることが苦しみの塊のような
人にとって生き続けること以上に何を求められようか。あるいは経済的には恵まれていても
常に不安や不満といったものを背負わなければならない人。


だからこそ、生きることに対してあまりしんどさを負ってない人や自分の中の闇と戦う必要が少ない
人、不当にも色んな意味で恵まれた場所にいることを感じてしまう人間こそが世界により多くの光を
もたらす仕事をすればいい。そしてそうすることによって何よりも自身が救われる。


私は何ができる? 生き続けることすら出来ない、あるいは何かによって妨げられてしまっている人はどう
すればいい? 「彼ら」に対して何ができる。きっと、その「妨げ」に間接的とはいえ「私」も知らず
知らず加担してしまっているのに。あるいはきっと知っていても便利さを理由に知らぬふりをしている
のに。きれい事だと一笑に付すこともできる。でもなぜかわからないけれど、「私」にはそれが出来ない。

院進学なんて、本当は気付いていることを先延ばしにしようとしてるだけじゃないのか。
もっと勉強もしたい。だけどきっとそれは真の教養であって、あるいはプロセスであって
私が一生をかけて本当に目指すものではないんだろう。

シュヴァイツァーは21歳のときに経済的に貧しい人に彼自身の人生を捧げることを決めると同時に
30歳になるまでは勉強に没頭することを自分自身に許したという。これらが書いてある全集の中の
章「原始林に医者となる決心」はなぜかすごく心を魅かれ、留学先までコピーして持ってきたほど。
彼の場合は30年間という土台があったからこそアフリカにおいて医師としても活躍し、
様々な実務的困難も乗り越えられたはずだ。シュヴァイツァー程でなくても、
色んな能力にそこまで恵まれていなくても私も人のために生きたい。
そしてそれは「彼ら」のためなんかじゃなく、もっと勝手な理由、「私」自身のために。

神谷美恵子さんは「なぜ私でなくあなたが」という問いに、彼らは代わってくれたのだと
いう詩を書いた。この考えはある程度まで分かる気はするけれども、やはり何か違うと思ってしまう。



宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べた。私はこの思想に
痛いほど共感する。私は色んなものに恵まれ過ぎている。不当なまでに。そしてそのもったいないほどの
環境までをも元来の怠惰な惰性で当たり前のものとし、それ以上のものを求めようともしている。
だけどその方向は私が本当に欲しいものでないことも分かっている。私は満たされているかもしれない。
だけど本当には幸福ではないんだろう。いつもふと多くの哀しみに対して何も出来ていない自分、搾取
する側である自分を思い描く限り。そして私が「彼ら」に対して何かの術と身体を用いて働きかける
日まで。道のりは果てしなく遠い。だけど、決断すべき日は一日一日近くなっている。



いつか、「なぜ私でなくあなたが」という問いに私なりの答えを出せる日がくれば私はきっと幸せになれる。