2010年5月17日月曜日

原罪らしきものー付け足しー 

シュヴァイツァーの「原始林に医者となる決心」を読み返すなかでどうしても
自分自身のために心に留めておきたい文章がいくつかあったので。
自省の意味を込めて。傲慢の塊のような私も「謙虚」であり続けることを心がけるように。


「環境によって不可能であるがゆえに、有為な愛すべき人々が世に尊かるべき個人的な仕事を
すてなくてはならぬのを、私はともに見、ともに体験せざるを得なかった。自由な個人的な事業を
実現し得る人間は、この幸福を享受するにあたってはよろしく、この幸によって心ますます
謙虚とならなくてはならぬ。同じ仕事をなさんと欲しまたその能もありながら、しかも行うを
許されざる者のことを考えねばならぬ。」

「およそかかる人々は、その強き意欲が謙虚のうちに鍛えられんくてはならぬ。しかも己が選びたる
仕事に通ずる路を得るまでには、空しく求め空しく待つ時期を経なければならぬのは、決められた
運命というべきである。」


「この幸を得し者は謙虚であらねばならぬ。かれらに加わる圧迫のために興奮することなく、むしろ、
かく起こるべかりしものの一つとして受け止らねばならぬ。善をお子わんと決意するものは、他人が彼の
ために路より石塊を除くことを予期すべからず、かえって路の上に積まれることを、宿命として
開くごせねばならぬ。」


私の考えを押し付けることなく、ただ実際に出来ることを黙々と行うこと。
あり得ないほど傲慢な私には、そして22年間それを強化させてきてしまった私には
本当に難しい。更に、キリスト教との様に私と対面する絶対的な神がいるわけでもない。
だけども、半年前に夢の中で聞いた(と思った)声「謙虚に生きれば路は開ける」というもの
の通り、今はとにかく謙虚に驕ることを戒めながら、先へ進んでいくしかないんだろう。

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