2010年5月17日月曜日

原罪らしきもの

今日のロンドンは晴れたり雨だったり。そんな中あったかい部屋の中で本を読んでいる私。
しとしとと雨が降るなかミルクティーを傍らに読書ってすごく落ち着くシチュエーション。
部屋から出ないことを正当化できるような。




でもこんな風に雨を楽しむことができる人間ってどのくらいいるんだろう。
私が19世紀のユダヤ人の同化なんてことを考えている時、雨でも外に立ちbig issueを
売っている人がいる。その横にいる犬は濡れ続けたままだろう。
先日大英図書館通りを通り過ぎた時、私と同じくらいの年でお腹が大きくなった女の子が
big issueを売っていた。恐らく20代前半で妊婦さんで野宿者で。雑誌を売るために
立ち続けることはその子もしんどいだろうしお腹の赤ちゃんにも負担がかかるだろう。


あるいは彼女でなくても、今日道ですれ違った人あるいは少し話した知人、またあるいは
きっと一生会うこともない多くの人々。どの人にもその人だけのストーリーがあり
人には計り知れない苦しみや痛みや悲しみを抱いて生きている。そんな人間が68億人も
ひしめき合った世界の中の一人だと思うと、あまりの途方のなさにどうしていいのか
分からなくなる。




私は街でよく見かける野宿者の人たちを直視することができない。お金を渡し続けることも
できないと同時に無視し続けることもできない。中途半端な人間だ。この「私」と「彼ら」
の違いを納得のいくよう説明することもできない。
よく何かの病であることが判明した時に「なぜ私が」というシーンは小説でもドラマでも
良くあるけど、「なぜ私でなくてあなたが」はもっとつらい。私に限って言えば、「なぜ私が」
ということはいくらでも述べられる気がする。あまりにも欺瞞に満ちた、罪深い人間として。
もちろんそれと感情として全身で納得するのは違うけれども。
だけどもその反対に「なぜあなたが」ということは納得のしようがない。



ある人は日本の中流として生まれた自分は勝ち組だと言ったし、ある宗教家は今自身がおかれている
環境と状況は前世からのカルマによると言う。私はどちらも全面的に否定はしたくない。私は
そういった「彼ら」ではないし「彼ら」のその発言に至るまでを「私」のこととして負えないから。




だけど、どんな説があろうとも、この今の世界で、自分の眼を通してあるいはメディアを通して
知るあまりに途方もない哀しみとどう付き合えばいいのか、私にはまだ分からない。


きっと、10代前半のころから、色んな哀しみに対して私はどうすればいいのかということは
大きなテーマだった。一番といっても過言ではないだろう。中学2年生のお正月に
新聞の広告でアフリカのどこかの国の子どもが飢えている写真を見てから。あの時の衝撃は今でも
ある程度思い出せる。その前から芽はあったんだろうけど。きっとそれは子どものときから時々
全身に襲ってきた寂寥の波と関係している。何か間違ったあまりにも恵まれた場所に生まれて
どうすればいいのか全く分からなかったような。この全身を覆う寂しさが襲ってこなくなった
代わりに、言語化できる「原罪」のような思いは年々大きくなるばかりだ。
特にロンドンに来てから、更にこの思いがよく頭によぎるようになった。



勉強することは文句なしに楽しい。色んな事を知りたい。そして繋げたい。人間とは何なのか、
生きるとは何なのか、死とは何なのか、学問を通して自分なりの答えを出したい。だけど、
本を読んでいるとき、エッセーを書いているとき、ふと、こんなことをしていていいのか
という思いがよぎる。研究だけの一生を送れば私はきっと満足しないだろうと静かに思っている
自分がいる。私だけ不当にも色んなことを楽しんでいる気がしてくる。私が読書を、音楽をあるいは
旅行を楽しんでいる間、数え切れないほどの人は苦しみの中にいるんだろう。経済的にであれ
精神的にであれ。



2年から1年ほど前に強く感じたこと。人間は生き続けるだけでいいんだということ。
どんな形の死であれ、死が訪れる瞬間まで生き続けるということ。今日一日を生きるということが
想像を絶するほど苦しい人も多くいる。一時間一時間が果てしなく長い人や、先が灰色でしかなく
何の光も見えない人。そんな人たちが、だけど生き続けること。生きることが苦しみの塊のような
人にとって生き続けること以上に何を求められようか。あるいは経済的には恵まれていても
常に不安や不満といったものを背負わなければならない人。


だからこそ、生きることに対してあまりしんどさを負ってない人や自分の中の闇と戦う必要が少ない
人、不当にも色んな意味で恵まれた場所にいることを感じてしまう人間こそが世界により多くの光を
もたらす仕事をすればいい。そしてそうすることによって何よりも自身が救われる。


私は何ができる? 生き続けることすら出来ない、あるいは何かによって妨げられてしまっている人はどう
すればいい? 「彼ら」に対して何ができる。きっと、その「妨げ」に間接的とはいえ「私」も知らず
知らず加担してしまっているのに。あるいはきっと知っていても便利さを理由に知らぬふりをしている
のに。きれい事だと一笑に付すこともできる。でもなぜかわからないけれど、「私」にはそれが出来ない。

院進学なんて、本当は気付いていることを先延ばしにしようとしてるだけじゃないのか。
もっと勉強もしたい。だけどきっとそれは真の教養であって、あるいはプロセスであって
私が一生をかけて本当に目指すものではないんだろう。

シュヴァイツァーは21歳のときに経済的に貧しい人に彼自身の人生を捧げることを決めると同時に
30歳になるまでは勉強に没頭することを自分自身に許したという。これらが書いてある全集の中の
章「原始林に医者となる決心」はなぜかすごく心を魅かれ、留学先までコピーして持ってきたほど。
彼の場合は30年間という土台があったからこそアフリカにおいて医師としても活躍し、
様々な実務的困難も乗り越えられたはずだ。シュヴァイツァー程でなくても、
色んな能力にそこまで恵まれていなくても私も人のために生きたい。
そしてそれは「彼ら」のためなんかじゃなく、もっと勝手な理由、「私」自身のために。

神谷美恵子さんは「なぜ私でなくあなたが」という問いに、彼らは代わってくれたのだと
いう詩を書いた。この考えはある程度まで分かる気はするけれども、やはり何か違うと思ってしまう。



宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べた。私はこの思想に
痛いほど共感する。私は色んなものに恵まれ過ぎている。不当なまでに。そしてそのもったいないほどの
環境までをも元来の怠惰な惰性で当たり前のものとし、それ以上のものを求めようともしている。
だけどその方向は私が本当に欲しいものでないことも分かっている。私は満たされているかもしれない。
だけど本当には幸福ではないんだろう。いつもふと多くの哀しみに対して何も出来ていない自分、搾取
する側である自分を思い描く限り。そして私が「彼ら」に対して何かの術と身体を用いて働きかける
日まで。道のりは果てしなく遠い。だけど、決断すべき日は一日一日近くなっている。



いつか、「なぜ私でなくあなたが」という問いに私なりの答えを出せる日がくれば私はきっと幸せになれる。

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