2010年5月16日日曜日

メモがわりに ジャイナ教について

両親が送ってくれた日本語で書かれたジャイナ教の本を昨日読んだ。

渡辺研二によるジャイナ教入門と「ジャイナ教ー非所有・非暴力・非殺生」









彼についてはロンドン大学の発行するジャイナ会報誌の中で見かけていたからかなぜか親近感があった。






2冊の内容はほとんど同じ。インドの思想の背景・聖典の歴史と空衣派・白衣派について・協議・戒律・実施あの生活・最古の聖典”acaeanga-sutra”についてなど。日本の中ではほぼ唯一のジャイナ教を大まかにしれる本なんだろう。でも私がもし全く何も知らずに読んだとしたら途中で放り出していたかもしれない。ジャイナ教の本はどうしてこうも「聖典」の分類やその発展の説明が中心なんだろう。文献学寄りの。ドイツ研究者がジャイナ教に関しては第一人者だということも関係しているんだろうな、と思ったり。私ならnekanta-vadaや自死について書きたい。それらと”意識”がどういう風に関係しているのか、といったことなどを。




更にアカデミックなものとして中村元さんの選集のうち、ジャイナ教に特化した一冊があった。「思想の自由とジャイナ教」(選集32冊のうちの1冊として!)




















これは原始仏教と比較しながらacaranga-sutra等を用いてジャイナ教の教義を吟味していっている。彼の選集は日本に帰ったらすぐに読破したい。ジャイナ教のみならず、インドにおける原始仏教・ヒンドゥー教・インド6学派(特にsamkhyaとvaisesika)の成り立ちと過程、発展の様子を大きく捉えるのに最適だろう。彼自身にも、著者がご存命のうちにぜひともお会いしたかった。他にも第14巻の「原始仏教の成立」にも比較としてジャイナ教のことが述べられてあった。



日本ではジャイナ教に特化した研究者はほぼ皆無という状態らしいけれど、ジャイナ教自体を高く評価した人は幾人か挙げられる。植物学者の南方熊楠もその一人。彼は人間ばかりか、どんな小さな生物や植物まで大切にするという点で仏教よりもキリスト教よりもジャイナ教の方が優れているとまで書き遺している。他にも、「憂鬱なる党派」で有名な高橋和巳も”自称ジャイナ教徒”だったということを知った。彼の作品は日本に帰ってから系統立てて読んでみたい。彼が生きた時代背景と彼の思想と。そして高橋和巳がジャイナ教に魅かれた理由は彼の師の埴谷雄高によるものであったという。彼の作品「死霊」も日本に帰ったらすぐに読みたいうちの一冊。 何よりこれらの本を探し出して送ってくれた両親に感謝!





もっと色んなことが知りたい。ジャイナ教だけでなく、インド学へ。サンスクリット語も。

中村元さんの発言のうちでサンスクリット語をやりたいと思った一言。サンスクリット語には「流れる」という言葉がないとのこと。なんて面白いんだろう!日本人だからこそそのコントラストに魅かれるのかもしれない。サンスクリット語をマスターした上で古代ギリシャ語にも遡り比較出来たらきっとものすごいことになる!


今の私はあまりにも無知だ。もう愕然とするほどに。この年齢にして至るべきであった所まで全く辿り着いていない。まるで冬眠していたように私は何も知らない。私の外にあるものを知らない。もっともっと。止まらずに。今は振り返る時じゃない。

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